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松山家庭裁判所 昭和60年(少)1844号 決定 1985年12月25日

少年 D・Y(昭46.7.16生)

主文

少年を初等少年院に送致する。

理由

(非行事実)

少年はA、Bと共謀のうえ、昭和60年10月5日頃の午前2時頃から同年10月16日午前3時10分頃までの間前後10回にわたり別紙犯罪事実一覧表のとおり、愛媛県喜多郡○○町大字○○××番地の××国鉄○○駅前自転車置場他6カ所において、C子他7名の所有にかかる現金2万円位、第一種原動機付自転車7台及び手さげ鞄等雑品388点(時価合計33万4484円相当)を窃取した

(適用法条)

刑法235条、60条

(処分の理由)

少年に対する調査官○○○作成の少年調査票及び松山少年鑑別所鑑別結果通知書等を併せ考えると、少年の健全な育成を期するためにはその性格これまでの行状、環境等に鑑み初等少年院(中学校復学コースS1)に収容して指導訓練を施すのを相当とする。理由の詳細は以下のとおりである。

1  少年の父親(46歳)は漁業に従事し、母親(42歳)はスナックを経営し、他に姉(20歳、母親のスナック手伝)、祖父(76歳)がいる。少年が小学3年の頃夫の反対を押して母親が自宅近くにスナックを経営するようになつた。少年は、その頃から欠席日数が3日(小3)、14日(小4)、17日(小5)、20日(小6)と次第に増加し、万引、いじめ等の問題行動も目立つようになつた。そして、○○中学1年の10月頃(昭和59年)から急激にそれがエスカレートし次のような行状を示すに至つた。

<1>  昭和59年10月17日、他2人と小学校時代に指導を受けた先生の自宅の窓ガラスを損壊し、中央児童相談所へ通告され二号措置となつた。

なおこの頃父親がヘルニアの為2か月ほど入院している。

<2>  昭和60年1月7日、下級生が窃取してきた現金をそれと知り乍ら内1万円を収受した。これも児相通告となつた。

<3>  同年4月16日、上級生に言い掛かりをつけ暴力を振い全治3日間のけがを負わせた。父と共に被害者に謝罪した。なお、同月19日、2年生のつつぱりグループの1人が教師の顔面を殴打する事件を起した。

<4>  同年4月22日、服装違反を注意した担任の先生に反抗して暴行を加え全治5日間のけがを負わせた。同日児相へ一時保護(3週間位)となつた。本事件は新聞に報道された。

<5>  同年5月10日、一時保護解除で帰宅したが、2、3日して、服装違反、暴力行為、いじめ、授業妨害が再開した。

<6>  同年9月29日から10月3日の修学旅行前までは比較的おとなしかつたが、その後不良行為が激しくなり、10月5日から10月16日にかけて本件非行を敢行し、以後教師に対する挑発的態度も目立つようになり、同年12月5日、本件観護措置となつた。父母も、一時保護解除後数日は学校に協力的であつたが、その後、連絡も途絶え反発する態度に変つた。父親は、同年8月から同年12月まで、腫瘍ができて入院した。

2  少年の能力はIQ88と準普通域であるが、授業についていけないため学習準備ができておらず、授業妨害、授業放棄、校内徘徊等を繰り返しており、中学1年の欠席が56日、中学2年になつてからは、登校はするがほとんど授業に出ていない。クラスでは恐いから、非協力的だから等の理由で排斥されているが、少年の上記不良行動については、いじめを恐れて黙認されている。中学2年にはいわゆるつつぱり生徒が20名ほどいるが、少年はその中心的存在の1人と目されている。

3  少年の性格は、気分の変動が激しく、些細な事が原因で興奮し易い。周囲の状況を判断して行動しようとするところがなく、所かまわず、自己中心的、顕示的に振る舞う傾向がある。学力面の劣等感を暴力的行為を人に見せることで補償しているところがうかがえる。

4  父親は温厚な性格であつて、少年を特に可愛がり強く叱ることもない。少年の非行に対しては自分の責任だとの反省の態度が強い。母親は非常に多弁で感情の起伏が激しく、少年を盲信、盲愛しているため、少年の責任を追及することなく、その原因を学校あるいは少年の友人へと転稼することが多い。少年に対しては、スナツクを始めた後は、放任と甘やかしの状態で、何不自由なく物品を買い与えており、物を十分に与えておけば悪いことはしないだろうと考え、躾の方はできていない。父親は母親のスナツク経営には子供の為にも又近隣の風評が悪くなることからも嫌つており、夫婦間の不和はスナツク開業を契機に増してきている(それまでは母親も漁業の手伝いをしていた)。

以上の諸事情を総合すれば、このように言うことができる。すなわち、少年の行状は、母親が、スナツクを経営するため夜家をあけるようになり、しかも、父親も職業の関係で、家を不在勝ちにする状況下において次第に悪化の途を辿るようになり、さらに、父親が昭和60年8月からは長期に入院し、夜間少年をみる者がいなくなり、夜間外出が多くなつた段階において、遂に本件にまでエスカレートしたものである。少年ははつきりとは述べないが父母との接触の少なさなどから寂しさを感じていると思われ、教師への反抗も、コミユニケーシヨンを持ちたいとする欲求のあらわれとみることも出来る。そこで、少年の立ちなおりには、先ず、父母の子供に対する養育態度の変更及び学校のきめの細かい教育(逸脱行為に対するきちんとした態度、それと同時に、本人の気持、状況を把握しその上に立つての大いなる励ましと具体的な学習その他の面における援助)を期待するが、しばらくは、少年自身が、学校内外でのこれまでの問題ある行為、行動を十分振り返り、今後2度とこれらを繰り返さない決意を固めてもらうと共に、学校の授業、指導についていくための基本的生活習慣や学力をつけ,その生活にスムーズに入つていくようにすることが先決であると考える。少年にはまだ素直なところも十分あり,立ち直りたいとのエネルギーもみられる。そこで,この際初等少年院送致とするが初回係属でもあり,又,父母も揃つて少年の監護養育にはそれなりの熱意を持ち努力をしようと決意していること及び学校側も指導に本腰を入れることを誓つていること等に鑑み,いわゆる中学校復学コースS1が適当と考える。

よつて,少年法24条1項3号,少年審判規則37条1項により主文のとおり決定する。

(裁判官 東條宏)

少年審判規則第38条第2項に基づく少年院に対する処遇勧告書<省略>

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